困っている人を見たら、何とかしてあげたいと思うのは()である。
相似题目
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外国から果物を輸入するのではなく、この土地でとれるものだけを使って、ここ()のおいしいお酒を作ってみたいと思っている。
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離婚の原因は彼にあるが、彼女()したって、ある程度は後悔していると思うよ。
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悪いことをしても人に知られ()、黙っていれば大丈夫だと思っている人がいる。
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このごろは疲れやすくなって、()おかしいと思ったら、やはり病気だった。
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まだ全員集まっていないようですが、()きょうの日程の説明を始めたいと思います。
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そんなにひどくなるまで我慢するなんて。言ってくれれば病院へ連れていってあげた()。
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君が金に困っていると知っていれば、何とか力になった()、どうして教えてくれなかったの?
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病気だったのなら、お見舞いに行ってあげた()。どうして電話してくれなったの。
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大学に入って勉強している人が、高卒で働いている人を見下すことがあるが、それは大きな過ちだ。学生はそういう人たちに勉強()のだ。大学を支えているのは、働いている人たちの税金なのだから。
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何かを勉強したいというより、ただ一流大学に入らんが()勉強している人が多い。
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今の会社は家から遠い()、給料が安いから、辞めたいと思っている。
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子供たちの多数は、学級編成の方法を知るはずもなく、喧騒の声を上げているが、看板の中に自分の名前を見つけられずに困っている子供がいる。一組から順に見ていくのだが名前はどこにもない。一緒に探してくれた仲間も皆が校庭に並び始めるとそわそわし出し「先生に聞いたら」と言ってしまう。問:「そわそわしだす」のは誰ですか。
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子供たちの多数は、学級編成の方法を知るはずもなく、喧騒の声を上げているが、看板の中に自分の名前を見つけられずに困っている子供がいる。 一組から順に見ていく のだが名前はどこにもない。 問:「一組から順に見ていく」のは誰ですか。
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一方、こうした批判の声に対して、貧しさや病気で食べられない人の問題と大食い番組とは全く関係がない、結び付けて批判するのは間違っている、見たくなければチャンネルを変えればよいといった反論もあるようだ。問:「といった反論」の内容はどこからどこまでですか。
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子供たちの多数は、学級編成の方法を知るはずもなく、喧騒の声を上げているが、看板の中に自分の名前を見つけられずに困っている子供がいる。一組から順に見ていくのだが名前はどこにもない。仕方なく新しい学年の列の後ろでうろうろしているが、他の子供たちはあたらしい仲間とのおしゃべりに夢中である。問:「うろうろしている」のは誰ですか。
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ひとりの子どもの話です。 仕事で疲れ切って、家ではごろごろしてテレビばかりを見ている父親はあまり存在感がない、まるで透明人間みたいだ、という子の文章がありました。 これ ではいけない。子どもたちに、父親が働いている姿を見せたらどうか。そういう意見もあって、ある母親は子どもを連れて、父親が働く工場へ行くのです。 問:「これ」は、何を指すか。
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今日は家に帰ったら、妹に手紙を書いてあげようと思った。 問:「手紙を書く」のは誰ですか。
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ポケットに本を一冊入れて旅に出る、野原を歩く、町のどこかに座って読むというのは楽しいことだ。十代なかばだったが、一冊の長篇小説をしゃがんだまま読んでしまったことがあり、目をあげた時に日の光が変わっていたことを思いだす。私にとって一つの幸福だった。 問:「日の光が変わっていた」というのはどんな意味を持っているか。
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誰でも鳥の()空を飛びたいと思うという夢を持っているでしょう。
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日本ではペットといえば、犬や小鳥や金魚などが一般的だったが、最近は蛇や豚などこれまでペットと思われていなかったものも飼われるようになってきた。また、飼い方も変わってきている。これまで人とペットの間は飼っている人と飼われているものというはっきりした上下関係があった。しかし、いまは家族の一員のように思っている人が多い。ペットをまるで自分の子どものようにかわいがる人が多いのだ。これは家族構成の変化などが影響しているためと思われる。記念写真を撮りにわざわざ写真館へ行ったり、洋服を着せたりする人もいるそうだ。また、日本の狭い住宅事情に合うことから、手軽に(轻松、随意)飼える小さなペットが好まれている。最近では、ペットを家の中で買う人が多くなってきている。(ア)ペットを飼ってもいいアパートやマンションはどこも人気がある。ペットを飼う人の数は着実に増えているのだ。最近、日本人とペットの関係はどのようになっていくのかというアンケート調査が行われた。その結果、「家族同様に生活する世帯が増える」、「老後のパートナー(伴儿)としての重要性が増す」と答えた人が多く、少子・高齢化が進む中、ペットの地位は確実に高くなってきているようだ。文中に「洋服を着せたりする」とあるが、洋服を着るのはどれか()
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緑の中にいれば落ち着き、安心だ。なぜだろう。わたしたちは高等なサル(猿、猴子)だから。サル類の生態的特徴は森の中で木の上に住んでいることである。前後左右を全部緑に囲まれ、その中で適応してきて、緑の中にいると安心だという感覚が、われわれの本性の中に、生まれながらあったのだと思う。人間にとって、森は(ア)生産資源である。(イ)環境資源でもある。(ウ)文化的な資源でもある。残念ながら日本ではこれまで文化的な利用の面が西欧に比べてとても低調だった。森の文化というと難しいようだが、川遊びと同じように、森遊びがあっていいと思うのである。特に子どもたちを森に誘いたい。本来子どもは、みな野生の力を持っている。それが強い教育管理の下で抑圧されている感じがする。草も木も虫も魚も命を持つものである。命あるものとの対話の楽しさを、子どもたちに知ってほしいのである。われわれの内にある自然が外の自然と触れ合って、いろいろな余韻を奏でていく。それが森遊びの楽しさである。その中で子どもの野生の力が出てくるはずだと思う。森遊びが子どもの本来の野生の力を出すことのできる理由はどれか()。
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「わが国にとってこんな悪い時はない」と、みんなは嘆(なげ)きました。ダルガス(人名)もそれを否定することはできませんでした。しかし、「祖国の復興には、こんなよい時はない」と、彼が固く信じていました。もちろん、それをはっきり口に出して言うことはできませんでした。そんなことを言ったら、戦争に負けたことを喜んでいると、ののしられた(被骂)でしょう。彼は、ただ実行によって自分の信念を示すほかはないと思いました。それで彼は「まったくわが国にとって(ア)時だ。だが、われわれは外に失ったものを内に取り返す(弥补)ことはできる。われわれの生きている間に、(イ)。」と言っていました。ダルガスは、祖国の復興はまず木からだと思いました。緑の木の茂っている(しげる)国は、必ず栄え、木の乏しい、秃山や荒野の国は、必ず衰えます。いや、木の茂っていることが国の栄えている印であり、木の乏しいことが国の衰えている印です。過去、現在を通じて、世界の国々の実例がはっきりそのことを示している。文中の「そのこと」の指すのは()どれか
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作家というものは、その作品を書いている間だけ「作家」である。原稿を書いている時の私は作家だが、原稿を書いていない時の私は、「何を考えているのかわからないへんなやつ」である。実際にそうだと思うし、それでいいと思っている。 問:「それ」は何を指していますか。
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8、できる人と思わせるためには下準備が必要である。しかし、実は最大の下準備は、何といっても「自分を知る」ことである。というのは、できないものをできるように見せるのはかなり難しいが、自分の長所を前面に出せば、できるように見せるのはそう難しくないということである。だから、欠点を隠そうとするより、長所を目立つようにしたほうが、できる人に見えるのだ。 問:この文章で筆者が最も言いたいことは何か。答えは(A)です。 (A)自分をよく分析し、欠点が目立たないようにすれば、他人からできる人と思われる。 (B)できる人と思われるには、自分の長所を周りの人によくわかるようにするのがよい。